社会学,  西洋占星術

山羊座的社会と水瓶座的な価値観

前回の投稿では、冥王星山羊座時代と、冥王星水瓶座時代の違いについて、考察しました。もう少し具体的に、山羊座的なものと水瓶座的な価値観について、掘り下げてみたいと思います。

支配星からみる山羊座と水瓶座

山羊座的社会の一つの特徴として、もっとも重要なことは、権威主義という言葉にまとめられます。山羊座の支配星は、土星です。土星は規律を重視し、社会的な責任を個々人に課して、時には、我慢と忍耐を当然のものとして、強いることもあります。

物質を主体として、集団としての利益を守るのが山羊座なので、その代償のために、個人が努力をすることは当たり前であるという前提があるのです。そして、個人が集団の利益のために犠牲を払う、という前提のもと、厳密な役割分担と、それを厳密に実行するための、社会的なヒエラルキーが重視されます。

山羊座的なピラミッド社会で重要なのは、同じ集団、とくにヒエラルキーの上位に属している人たちとの、信頼関係です。山羊座にとっては、何を言っているのかと言うこと以上に、誰が言っていることなのか、ということが、常に重要事項となります。

上層部の期待に応えるために努力をしつつ、同じ階層に属している人たちとの連帯関係も必要です。人々は、皆が同じような我慢を強いられても、集団内での人々は、互いにルールと慣習を守り、ともに励まし合って困難をのりきれるという、強い信頼関係によって、結ばれています。

山羊座は、社会的な集団、国家や企業などを信頼するからこそ、その規則や契約内容に従って、集団的な秩序を守ろうとします。そして、集団に属する個人は、同じ集団に属している人たちから、集団のルールと慣習が守れる、信頼できる人であるとみなされることを、重視します。つまり、山羊座社会においては、他者にどのように思われるか、評価されるかが、大きな意味をもつことになります。

このような、山羊座的な権威主義にもとづいた、私たちの潜在的な思い込みというものには、多岐にわたっています。大学をでているか、どんな大学をでているのか、どんな資格をもっているのか、どんな会社に勤めているのか、何の仕事をしているのか、正社員なのか否か、などなど、これらの社会的な評価は、水瓶座社会ではほとんど意味をもちません。

一方、水瓶座的な社会では、ピラミッド的な階層社会にたよらず、個人個人が自律した存在として、活動することが要求されます。社会構造は、限りなくフラットに近く、個人が互いに理解しやすい、価値観のあうグループを形成することによって、成立しています。ルールや慣習に頼らず、個人個人が、何を重視しているのかということが重要で、自分がどうすべきが、何をしたいかが、問われる社会です。

水瓶座の支配星は天王星です。天王星は、アイデアやひらめき、独創性、創造性を重視します。他者と同じような価値観をもつということは、自分がいかに平凡な人間であるかをアピールするようなもので、水瓶座にとっては、どうでもよいことです。

天王星は、1781年、今から243年前に発見されたので、それ以前の占星術では、水瓶座の支配星は土星でした。今日でも、水瓶座は副支配星として、土星の影響をうけています。同じ土星であっても、水瓶座と山羊座では、土星が象徴する意味が異なってきます。

山羊座の土星は、集団が単位なので、集団の中での個人の振る舞いを律する役目をします。一方、水瓶座は、自分自身で、自らの言動を内省するのです。水瓶座にとって重要なことは、人にどう思われるか、ルールに遵守しているかではありません。水瓶座にとって正義とは、常に自分自身の内面にあるのです。

水瓶座が目指す社会

水瓶座が理想とする人間関係は、プライベートな関係においても重要な意味をもちます。家族というのは、山羊座的な社会では、人間が成長していくために、もっとも重要な社会的単位です。結婚しているのか、子どもはいるのか、家庭をもっているのかどうかで、山羊座的な社会では、社会的な信用が異なってきます。

しかし、水瓶座社会では、家族というのは、法律で管理されるような、契約事項の一つであるという、山羊座的な生易しい価値観は通用しません。水瓶座にとって、結婚とは、相手のことを無条件に受け入れられるか、ということが全てです。

これは、水瓶座時代になると、人々が結婚しなくなるとか、子どもを産みたくなるとか、人間が孤立していきるということではありません。法的な契約による結婚をしないと、人間が孤独に陥ると、漠然と思っている人は、そもそも思い込み自体に、山羊座的な価値観によるフィルターがかかっているのです。

水瓶座的な価値観においても、パートナシップや親になること (parenthood) は尊重されます。水瓶座が嫌悪することは、生涯のパートナーをもつことや、子どもを産み育てるという行為そのものを否定しているのではありません。ただ単に山羊座的な価値観に則った、法的制度としての結婚制度 (institutional marriage) を否定しているのです。

水瓶座にとって重要なのは、パートナーや子どもに対して、無条件の愛があるか否かであって、社会的な契約ではありません。そもそも、婚姻届けにハンコを押さなければ、パートナーを信用できないというのなら、それは愛があるって言えないよね、というのが水瓶座の立場です。

最近話題になっている、選択的夫婦別氏制度という法律を考えてみましょう。選択的という説頭語がついている通り、この法案は、あくまでは、別姓と名乗りたい人、旧姓をそのまま使いたい人に対して、法律として、それを認め、様々な社会保障サービスで、同性を名乗る人と同じ権利を与えるようにしようというものです。選択的なので、結婚する全ての人が、別姓を名乗ることを、強制するものではありません。

水瓶座的な視点でみれば、この法案のどこが問題なのか、全く理解できません。法律による規律が緩くなって、選択肢が広がり、自由に決められる範囲が広がることは、水瓶座にとっては、望ましい解決策です。

しかし、厳格な山羊座的な価値観を持つ人からみると、選択制とは言え、他の人が家族間の間で苗字が異なる、と言う状況なんて、とてもじゃないけど認めらない、ということになります。山羊座にとっては、同じ集団においては、同じ価値観を共有することが前提で、それ故に、利益を公平に分配できるものだと頑なに信じています。

ここで述べる、同じ集団というのは、同じ日本人という意味で、同じ家族という、小さなグループではありません。日本という国は、家族内では同じ苗字を名乗る、そのことによって、同じ法的な価値体系を共有できる、信頼できる仲間意識が生まれる、という絶対的な信念があるのです。

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