西洋占星術

外惑星の動きから世相を読む (2)

私たちの潜在意識に影響を与える、天王星、海王星、冥王星の動きから、社会的な世相がどのように変化していったのかを考察します。今回は、1950年代から1990年代前半までを対象にします。

1954年から1956年: 海王星と天王星のスクエア

終戦後も、冥王星は海王星と60度の角度を緩やかにとり続ける一方で、動きの速い天王星は、他の二つの天体に徐々に追いついていきます。戦後からほぼ9年後の1954年ごろ、天王星は、海王星と90度という、少し緊張感をともなうアスペクトをとります。

以下は、1954年の春分図です。2ハウスの獅子座にいる冥王星と、4ハウス天秤座の海王星の角度は60度で、終戦後から大きく動いていません。一方、天王星は双子座から蟹座へと移動し、海王星と90度という緊張の角度をとっています。

1945年3月21日午前11時55分 東京  heliocentric占星術 (freehorocharts.com) にて作成

天王星は、アセンダントの近くにのっているので、この春分図の主役はこの天王星で、蟹座、天秤座、山羊座、牡羊座という、活動宮の星座の配置がめだっています。変化を恐れない天王星が、さらに変容を促す星座に圧力をかけて、社会が大きくかわっていく契機になるときでした。

1954年は、戦後はじめてむかえる、「神武景気」とよばれる高度経済成長期の始まり年で、冷蔵庫、洗濯機、テレビの「三種の神器」と呼ばれた家電が、一般家庭に普及しはじめたときです。新しいテクノロジーが、生活様式を大きくかえていく時代の始まりであり、新しい変化に対する、精神的な緊張感を感じつつも、国民は変化を余儀なくされていきます。

1965年から1968年: 冥王星と天王星の合

1960年ごろになると、冥王星は獅子座から乙女座に、海王星が天秤座に移動します。そのころになると、動きの速い海王星は、冥王星から少し離れるようになりますが、1965年頃になると、冥王星と海王星の距離は縮まり、再び60度に近い角度をとりはじめます。一方天王星は、冥王星を追いかけるように進み、1965年頃には、天王星と冥王星がほぼ重なるようになっていきます。

下の図は、1967年の春分図です。1ハウス乙女座に天王星と冥王星が配置され、3ハウスの蠍座、ICの近くに海王星がいます。技術革新を象徴する天王星が、乙女座で冥王星と重なると、生活様式に直接かかわる全ての仕組みが、テクノロジーによってシステム化されて、日常の生活そのものが、目まぐるしいスピードで変化していったことが、はっきりと読み取れます。

年3月21日午後15時29分 東京  heliocentric占星術 (freehorocharts.com) にて作成

冥王星と天王星が重なった1965年は、戦後になって最長の、消費主導型景気の拡大局面であり、の高度経済成長期の始まり年であり、この経済成長期は「いざなぎ景気」と呼ばれました。もはや「三種の新器」の時代は終わりを告げ、新たな「3つのC」、車 (car)、クーラー、カラーテレビが普及しはじめたころです。

単なる消費生活が変わっただけではなく、1960年代後半は世界中で、暴動をともなう社会運動、差別を撤廃しようとうす公民権運動、学生運動、反戦運動が激化した時期でもあります。1965年にアメリカはベトナム戦争を開始し、1966年には中国で文化大革命がはじまり、米ソの冷戦構造が強まる一方で、共産主義、あらたな左翼主義への啓蒙活動も強くなりました。

日本でも1968年から1969年にかけて、大学紛争が勃発し、急速な高度経済成長による社会変化のひずみ、世代間により価値観の相違、権利意識と責任感へ考え方の違いなどが、根底にあったとおもいます。

天王星が冥王星によりそって変革を促しても、海王星と冥王星の関係は、終戦のころと大きく変わらず、しかも海王星のいる星座が蠍座というところが、とても興味深いです。蠍座の海王星は、自分が頂く理想や信念を、粘り強く実現させようと、執拗に固執します。いかに、自分の理想が、社会のニーズにあっていようがいまいが、お構いなしなのです。

社会的な変化に葛藤をかかえつつも、積極的な消費活動と設備投資に支えられて、経済は順調に発展しつづけたのが、この時代の特徴です。1965年から1970年の5年間で目国民総生産(GNP)が2倍以上となり、1968年には西ドイツを抜き、アメリカに次いで第2位となりました。

1943年から1994年: 冥王星と海王星のセクスタイル

前回の投稿で述べた通り、1943年から1945年、第二次世界大戦が終盤にむかい、日本の戦況が難しくなっているとき、外惑星がミニトラインと呼ばれる、複合アスペクトをとっていました。その後、天王星の距離が離れていくので、日本が終戦をむかえると、この小三角形の形は壊れてしまうのですが、冥王星と海王星のアスペクトは、セクスタイルと呼ばれる60度の角度を、1994年くらいまで、かなり長きにわたって、取り続けます。

この60度の角度は、1964年から1965年にかけて、少し崩れてしまうのですが、それ以外の時期は、オーブが5度以上離れてしまうことはほとんどなく、一時的離れても、またもとの角度に戻ったりして、緩くではありますが、60度のあたりを保ち続けます。

1964年は、東京オリンピックが開かれ、東海道新幹線が開通したときでした。戦後の高度経済成長も一段落して、もう経済成長はそろそろいいんじゃない、と人々が感じ始めたときだったのかもしれません。ところがおもしろいことに、1965年以降、再び冥王星と海王星が60度の角度をとりはじめると、またもや、さらに勢いをまして、日本経済は拡大し続けるのです。

とくに、1976年から1986年までの間は、きっちりとした60度の角度をとる配置が目立ちます。この時期は、とくに「○○景気」と言う名称をつけて、浮かれ続けていられるようなときではありません。日米貿易摩擦が深刻化してしまい、日本一人勝ち状態、といよりもむしろ、アメリカ一人負け状態を、なんとかしなくちゃいけない、という意味不明はプレッシャーがありました。その結果、1985年はプラザ合意が結ばれて、アメリカ、イギリス、西ドイツ、フランス、日本の5か国で、米ドル高を是正するため、協調して、米ドル売り介入を行うという決定をしたのです。

プラザ合意は、実質的に円高ドル安へ誘導する政策であったため、ドル円レートは、1年の間に235円から150円まで下落しました。しかし、アメリカ経済を復活させることが本来の目的だったのですが、結果はむしろ逆でした。円高により、米国資産の買い漁りや海外旅行のブームが起き、その後の「バブル景気」につながったのです。

「バブル景気」が終焉した、1994年以降、海王星と冥王星のセクスタイルは完全にくずれてしまい、その後、30年にもわたって、冥王星と海王星はメジャーなアスペクトをとることはありません。戦後の混乱期で、日本人が絶望に近い感覚をあじわってから、経済の復興期をへて、バブル景気の破綻まで、冥王星と海王星は、常に協調的な角度をとり続けました。海王星が、経済的な豊かさという、日本人の夢、理想をしっかりと、冥王星とともにサポートし続けている間、日本の経済は紆余曲折的がありながらも、順調に発展しつづけていたのです。

そして、過去30年にわたって、海王星と冥王星がメジャーアスペクトをとっていなかった時期は、「失われた30年」といわれる、経済の停滞期でもありました。これほどまでに、海王星と冥王星の動きが、日本の経済状況と一致しているというのは、本当にすごいことです。改めて、海王星というのは、私たちの夢や理想をサポートする星なのだと実感しました。

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