潜在意識と集合意識
潜在意識には、個人的レベルの無意識と、集合的レベルの無意識があります。集合的レベルとは、国家や民族、宗教など、なんらかな社会的なグループに属していることによって、そのグループの中で共有している無意識です。心理学において、集合的レベルの無意識を最初に定義したのはユングで、「集合的無意識」 (collective unconsciousness) と呼ばれることが多いです。
一方、集合意識と言う言葉、社会学など、もっと一般的で高範囲の議論において使われます。社会的グループのメンバーが、共通して持つ信念や価値観などを指し、「文化の違い」などと称されるものも、この集合意識です。
しかし、所謂、社会的な意味においての集合意識も、突き詰めて考えれば、心理学な「集合的無意識」と同じものだとわかります。例えば、SNSであたかも、理論的な議論をしているフリをして発信しても、異なった集合意識をもっている人同士では、全くもって埒が明かない、議論にならない、ということがよくあります。近年になって、同じ日本人同士でも、このような「違った立場」にたっている、異なったグループに属している、人たちの発信をよくみるようになりました。
彼らは、何を正しいのか、正しくないかを、潜在意識における、「集合的無意識」で判断しているのです。よって、いくら、理論的思考で対抗しても無駄です。そもそも、親、家族、恋人同士など、ごく親しい間柄においても、他人の潜在意識を変えるのは、かなりの信念と忍耐が必要です。まして、実際にあったことのない人の潜在意識を、数回のSNSの発信なんかでは、変えられません。そもそも、自分の潜在意識を変えるのも大変なことなのです。
社会的な集合意識と、心理学における「集合的無意識」が同じものであり、社会学的な集合意識は、理論や思考によって成立しているのではない、などと言うと、社会学を真面目に信奉している人から、反発されるかもしれません。私は学生時代に、社会的集合意識は、理論的で科学的な研究成果によって、形成されるべきだ、という信念をもっていたので、このような反発はよく理解できます。
しかしながら、理論があって、潜在意識がつくられるわけではありません。例えば、男女平等な社会を求めて、社会学、女性学、政治学のような、社会科学分野で研究をしている人を想定してみてください。彼らは、論文のエビデンスやデータよりも、自分の潜在意識の中の、集合意識に忠実に従って、研究をしているはずです。その研究のモチベーションは、自分の家族や、経験に根差した、潜在意識に刻まれた、平等意識であるはずです。理論や科学的根拠は、むしろ後付けで、自分の中の集合意識が先なのです。
自分の中の潜在意識が、男性優勢主義なのに、仕事だから、男女平等主義のための論文をかかなくちゃいけない、などという人がいるでしょうか?そういう人が、自分の潜在意識に反して、長くそのような仕事をしなければいけないとしたら、間違いなく、精神を病みます。潜在意識の集合意識は、強制されるものではなく、人間は、潜在意識に従って生活する方が、圧倒的に楽なのです。
また、集合意識は、日本人だけがもっているわけではなく、国や文化を超えて、全ての人類がもっています。アメリカ人にはアメリカ人としての集合意識があり、中国人には中国人として集合意識があります。そして、国家という大きなグループの下には、何層になっている、サブグループがあります。
そして、人間は誰でも、異なった集合意識に属している人の意見をきくと、反射的に拒絶するか、もしくは感情的な怒りをあらわにしたりします。
例えばアメリカでは、宗教や政治の話はタブーで、日本では野球の話はタブーだとよく言われます。これは、アメリカではキリスト教やその他の宗教によって、集合意識は分かれるし、民主党やもしくは、共和党を支持するかによって、集合意識は異なってきます。日本では、どのプロ野球チームを応援するかで、集合意識が分かれます。異なった集合意識をもつ人々の間では、その分野における会話がかみ合いません。
このような集合意識は、メディア、教育などの媒介によって、私たちの潜在意識の一部に強烈に刻みこまれています。さらに、集合意識は、個人的な経験、とくに幼少期から長きにわたって、親からの影響を強く受けます。従って、同じメディアをみたり、同じ教育を受けた人同士であっても、巨人ファンと阪神ファンでわかれることがあるように、他の影響によって、違うグループに属することもあります。
また、時間を経ることによって、集合意識が変化します。例えば、男女平等の意識は、過去半世紀ぐらいにわたって、ゆっくりではありますが、徐々に変化してきました。これは、メディアや教育が長きにわたって、啓蒙してきたことが大きいです。
それでも、私がものごころついてから、過去50年ぐらいの間、日本人の集合意識は、それほど大きく、ダイナミックに変化した、と感じることはありませんでした。例えば、ジェンダーに関する考え方、仕事に関する考え方は、少しずつ変わってきたと感じるものはありますが、それでも、そのスピードは非常に遅かったと言えます。
しかしながら、2020年になって、急激に大きな変革の波が訪れたと感じました。表立って、議論できない話題が増えたということは、集合意識が細分化した、というまぎれもない事実です。このまま、細分化するのか、どこかのグループがどんどん大きくなって、また一つのグループにまとまるのか、2023年の今の段階では、はっきりとしたことは断言できません。ただ、2025年ぐらいまでは、オセロの白が黒に一挙に変わったりするような、劇的な変化は起こらないで、このまま、白と黒が拮抗した状態が続きそうです。