ショーン・コムズ氏を占う(1)
アメリカヒップホップ界のラッパー、プロデューサー、実業家である、ショーン・コムズ氏を占います。パフ・ダディ(Puff Daddy)、P・ディディ(P. Diddy)、ディディ(Diddy)などの愛称で親しまれ、1997年にリリースした、「アイル・ビー・ミッシング・ユー」(I’ll Be Missing You)などが収録された彼のファースト・アルバム「ノー・ウェイ・アウト」(No Way Out)は、アメリカだけでも720万枚を超える売り上げを記録しています。当時は、この曲ばかり流れていた、という記憶を持っている人は少なくないはずです。ショーン・コムズって誰、と思っている人も、アイル・ビー・ミッシング・ユーは聴いたことある、という人は多いでしょう。
コムズ氏は、華々しい成功の修めつつも、彼の周囲では、不信死を遂げた人が何人もいて、常に数々のスキャンダルと黒い噂が後とたちませんでした。長い間、これらはただの噂でしかなかったですが、2023年の11月に、コムズ氏の元ガールフレンド、キャシー・ベンチュラ氏が彼を訴えたことを期に、完全に風向きが変わります。
彼女は、2005年に彼のレーベル、バットボーイ (Bad Boy) と契約してから、性的暴行、身体的虐待、薬物の投与、第三者との性行為の強要など、さまざまな虐待と受けてきたと声をあげました。この訴えは、異例のスピードで、訴えた翌日に示談になっています。しかしこの訴えを期に、多くの男性、女性から、コムズ氏から性的虐待を受けたという、民事訴訟が起こされ、数々の証拠画像がでまわるようになっていきます。
2024年の3月には、国土安全保障省は調査の一環として、コムズ氏が所有する不動産が、家宅捜査の対象となります。国土安全保障省とは、2001年のアメリカ同時多発テロ事件の後に設置された連邦政府による、行政機関です。その名のとおり、アメリカの国土の安全を守るために、テロリストの攻撃を未然に防ぎ、サイバーセキュリティ、自然災害と防災、国境の警備などを使命とします。一人のラッパーが、アメリカの全国土を脅かす脅威、と考えられたのだから、これはただごとではありません。
そして2024年9月、彼は連邦政府の大倍審によって、性的人身売買や恐喝などの容疑によって、起訴されます。2度にわたる保釈要求も拒否されたので、ニューヨークの放置所で、2025年5月5日に予定されている、裁判に備えている状況です。
この裁判は、州レベルではなく、連邦政府が動いている案件なので、事の大きさがうかがえます。日本の大手メディアでは、アメリカのことを悪くいってはならないという、明確な不文律があるので、報道されることはありませんが、実際は、アメリカの社会全体の根底を覆しかねない、大きな闇が潜んでいるといってよいでしょう。
前置きが長くなりましたが、彼の運勢を占っていきたいと思います。まず、数秘でみます。ショーン・コムズ氏の本名は、Sean John Combs で、生年月日は1969年11月4日で、生まれた時間はわかりません。
外面をあらわすパーソナリティーが3、内面をソウルナンバーが9、過去数と運命数の4、未来数の6という結果です。3は人を楽しませる、エンターテインメントの才能に秀でる人に多い数値です。9は、物事の終わり、完成を表す数値で、全体を俯瞰して、組織をまとめる力があることを示しています。
一方、過去数と運命数の4、未来数の6はかなり意外な印象です。4は安定をあらわす数値であり、秩序やルールを重んじ、目標にむけて、地道な努力を続けていく数値です。6は、周囲との調和を重んじて、愛情と美しさをあらわす数値でもあります。このように4と6が多いと、とても、凶悪的な犯罪を企てる人にはみえません。
コムズ氏は、ニューヨークのハーレムで生まれましたが、父親はコムズ氏が2才のときに、射殺されています。母親はかなり教育熱心だったと言われ、治安の悪いハーレムから、ニューヨークの郊外に引っ越し、高校はカソリック系のミッションスクールを卒業しています。大学はワシントンDCにある名門、ハワード大学に入学し、成績は優秀で、多くのパーティーを主催して、有料で車の運転を手配したり、学生時代から、ビジネスの才覚を発揮していたそうです。学生時代にインターンとしてアップタンレコードで働き、アップタウンの社長に気に入られことから、若干二十歳という若さで、アップタウンでダイレクターとして働き、音楽業界での才能を開花させていくことになります。
仕事ができて、人から注目される人望や、人の才覚を見抜く洞察力もあるのですが、同時に、周りに流されやすい危うさがあるのかもしれません。4と6という偶数の数値が並ぶと、陰を極まれば陽になるというように、陰が極まりつくして、陽に反転する直前に、最大の危機があるのです。