「黒か白か」の二元論をやめる
四柱推命や気学など、東洋思想について勉強している人なら、陰陽論について聞いたことがあると思います。陰陽論は、この宇宙に存在するあらゆる事象、事物を、陽と陰の2つのカテゴリーに分類します。光と闇、昼と夜、太陽と月、男と女、偶数と奇数、強いと弱い、動と静、など、これらの相反する2つの要素は、片方がなければ、もう片方も存在しないので、陽と陰の2つが調和して初めて、自然の秩序が保たれるというものです。どちらが善でどちらが悪というものでもなく、悪があるから、善が極まり、善があるから、悪が台頭する、という具合に、陰陽は互いにバランスをとるように作用します。陰陽説では、善悪は、同じコインの裏表にすぎず、善は悪であって、悪も善であると考えます。
東洋思想における陰陽論と比べると、キリスト教に代表されるような西洋思想は、片方がもう片方に対して、圧倒的な優位性をもつ、絶対的で排他的な二元論に陥りやすいです。キリスト教のような一神教においては、神が唯一の善であり、それに対立するものは、全て悪になります。善か悪か、真実か嘘か、愛かエゴか、互いに相反する2つの価値観は、常に一方が正しくて、他方が間違っています。
日本は江戸時代まで、東洋思想が大きな影響力をもっていましたが、明治以降、西洋的な近代化を推し進めた、今日の日本社会においては、どうでしょうか?
私は日本人の集合意識として、東洋思想の陰陽論よりも、西洋的な善悪二元論が優位性をもっているように感じています。物事が黒か白か、どちらか一方に決められないと、落ち着かないという、せっかちな思考に囚われている人が多いと思います。無理もありません。私たちが受けてきた学校教育は、何が正しくて正しくないか、この単純な二元論で白黒つけることを、半ば強制的に教え込まれてきたのですから。学校教育での基本は、思考で理論的に考えることなので、YESかNOか、正しいか間違っているか、常に白黒つけて、決着をつけるやり方の方が、全てにおいて効率的なのです。
しかし、潜在意識に根付いている、深い深層心理における問題に焦点をあてるとき、この白黒つける単純な二元論は通用しません。なぜなら、潜在意識に否定形は存在しないからです。潜在意識は、理論的な思考をあやつる左脳で操られているのはありません。左脳が得意とする言葉ではなく、イメージ、抽象的な感情、感覚、情緒などによって、動作しています。
脳内に画像を描くために、否定形は存在しません。頭の中に「白馬にのった王子さまを思い描かないで下さい」と言われたら、白馬にのった男性の映像が浮び、「お母さんのことを思いうかべないでください」と言われたら、母親の顔が浮ぶはずです。
感謝や愛などのポジティブな感情が陽で、恨み、怒り、妬みなどのネガティブな感情が陰だとします。キラキラとしたスピリチュアルに傾倒している人は、善悪二元論で考えれば、ポジティブな感情が善で、ネガティブは悪だから、ネガティブな感情を抱かないようにしようと、心がけようとします。しかし、これが大きな罠で、ネガティブな感情を避けようとすればするほど、潜在意識は、ネガティブな感情により支配されるようになるのです。
同様なことは、私たちの集合意識のレベルでも起こります。平和が善で戦争が悪だとしましょう。戦争反対と声高に社会的正義を唱える人は、自分たちが信じる絶対的な正義の上に、戦争をしかけてきた人を攻撃します。しかし、これは、逆説的に、戦争がしかけられた側の人間の立場を擁護することになり、皮肉なことに、戦争を煽り、戦火をより激しく燃やすことになるのです。
潜在意識のレベルでは、戦争反対も戦争擁護も、同じ主張です。これは、集合意識における、全ての社会的、政治的主張でも同様です。差別反対といえば、差別を是正するための逆差別を擁護することになり、暴力反対と言えば、暴力から身を守るために、自衛のために暴力で戦うことになります。
何かを絶対的な善を主張する、社会的、政治的な主張に、どうみても何かがおかしいという逆説的な違和感を感じたことはありませんか?かつて、このような違和感を感じる偽善的な言論で、実際に社会的に何かよくなったという事例が、一つでもあるでしょうか?
SNSには、このような善悪二元論で解決しようとする、短絡的で感情的な主張であふれかえっています。このような言説は、表面上は、理論的で客観的な議論をしているようなフリをしています。しかし、これらの善悪二元論の根拠は、彼らの集合的無意識で形成された潜在意識であり、理論的思考などというものからは程遠いのです。だから、感情的な熱量ばかりがヒートアップして、問題の原因把握もなければ具体的な解決策からも程遠い、むなしい論争に始終するわけです。
個人の感情のレベルでも、集合意識のレベルでも、潜在意識を平穏に保つって穏やかにすごすためには、善悪二元論の罠から、一刻も早く抜け出す必要があります。しかし、スピリチュアルを真面目に学んで、正しいことを誠実に実行しようとする人ほど、皮肉なことにこの罠に陥ります。
ポジティブな感情もネガティブな感情も、相互に補完しあっている、重要な感情です。ポジティブが陽でネガティブが陰だとしたら、陰陽の感情にどちらだけが重要というものはありません。例えば、愛が陽でエゴが陰だとしたら、必要なのは愛だけで、エゴを手放さなければいけない、というわけではありません。そもそも、自分自身が十分に満たされなければ、他者を愛することはできないのです。
陰は陽であり、陽は陰であるという、物事の二面性を理解できだら、私たちは心の平穏をもっと容易に取り戻すことができるはずです。これは、個人個人の感情でも、集合意識のレベルでも同様です。